「最高のわたし」の引き出し方発見!!

Vol.5【心に隙間空いていますか?】

 

先日、しょうもないことで朝から娘と喧嘩をしてしまいました。

 

その日は、息子が風邪を引いて寝込んでいたので、

幼稚園に行く娘の髪を結いながら、

「○○くん(弟)は、しんどくて一緒にバスのお見送りに行かれないから、

今日はママと二人で行こうね。」

と話すと、娘が

「前にもそんなことがあったね。」

と言いました。聞くと、

娘「○○くん(弟)が、ゲーゲーしてるとき、

置いてママと□□ちゃん(娘自身)だけで行ったよね。」

私「えっ? 寝てる時はママだけで行くこともあるけど、

ゲーゲー吐いている人を放ってお見送りに行ったことはないわ。

そんなことしないわ。」

娘「え、でも絶対絶対あるもん!」

の繰り返し。

 

それはおそらく、母が遊びに来てくれていた時、

娘を送りに朝家を出るタイミングで、

息子が「お腹痛い・・・。」と言い出したので、

娘の送り出しを母に任せ、二人で行ってもらった時のことを

娘は言っているんだと確信した私。

そして少し前に息子が胃腸炎になった時の記憶とが、

どうやら娘のなかで混ざっているようでした。

 

嘔吐している息子を置いて私が娘の見送りに行ったと言い張る娘。

あり得ないことを決め付けられたようで、朝の余裕の無さも手伝って、

私はなんだか無性に娘に腹が立ちました。

 

私「なんでそんなエラそうに言えるわけ??ほんと失礼だし!

もう編み込みなんて、やーめたやめた!!一つ結びで十分!」

と、手の込んだ髪型にするのを投げ出した私。

そこで怒って大泣きした娘

「ママ、だいっきらいーー!!編み込みにしてよー!」。

 

泣いた後です!とバッチリわかる顔の娘を見送った後で、

何も悪気のない4歳の言葉を真に受けなくても・・・と

そこで我に返ったのでした。

 

娘はただ、思い出した話をしただけで、

何かをジャッジしたいわけではなかったはず。

『嘔吐している人を放っておく=なんてひどい人』という

私が自分で作ったレッテルを娘に貼られたと思い込み、

憤慨していただけのことでした。

 

いっそ、「ありえない~。」と笑い飛ばしてやればよかったな、とか

「え?そんなことあったかなー。でもそれは何かの勘違いだよー。」と、

ゆる~く返せばよかった・・とか後になりいろいろ思うのです。

・・・が、そこで「そうかもねー。」と素直に納得するような

柔らかい娘ではないから、

どう考えても4歳といい歳した大人の喧嘩じゃないけど、

こんな調子で毎度本気でぶつかってしまうのです。トホホ・・・。

そんなことより、そばで具合悪くて寝ている息子が

いい迷惑だよ・・という話です。

 

こういう時、

ふと自分の心の隙間が少なくなっているなと痛感するのです。

心に隙間が空いている時には、普通に受け止められる言葉も、

受け止めるどころかまるで目の前で打ち返している状態。

要は余裕のない自分を必死に守ろうと、

必要以上に自分の主観が勝ちすぎてしまうことに原因があるようです。

これでは、相手や周りの状況を正しく見ることはできず、

自分の色眼鏡で世の中を見てしまうことになりかねません。

なんて恐ろしい!

 

そうならないために、心にはいつも隙間があることが理想です。

それには、生きていると自然と溜まっていく心の『澱』のようなものを、

こまめに取り払わなくてはなりません。

見て見ぬフリをすることなく、自分の心に忠実に向き合い続けること。

それに尽きるのではないでしょうか。

それは、きっと豊かな人生を過ごすために、

衣食住と同じように欠かせない、大切な営みだと思うのです。

そうして、澱を取り払ったすっきりと余裕のある目で、

しっかりと世の中を見たいものです。

いろんなことがあるけれど、それでもやっぱりこの世は素晴らしい、

美しい。そう気付かせてくれるはずだから。

 

あぁ今の私の心は、まるで目詰まりを起こした換気扇の

フィルターだわ・・。

そう実感した途端、なぜか掃除に闘志が湧いてくる私。

昔から掃除機が音を立てながらゴミを吸い込む様がたまらなく快感で、

人に言わせるとちょっと変わっているらしい?私にとって、

ルーティンなハタキやモップだけでは心の目詰まりには、

どうもパンチに欠けるのです。

 

そんな時には、戸棚や引き出しを開けて、整理整頓に取り掛かります。

そこには、いつの間にやら増えてしまった書類や不要になったDM、

読み終えた本や雑誌など、整理すべき物たちが、潜んでいます。

これはまだ要る?要らない?

そう自分に問いかけながら片付けをする工程は、

まるで自分の心と向き合っているようで、

だんだんと自分の気持ちのモヤモヤが治まっていくのです。

空間の秩序は心の秩序といった感覚でしょうか?

 

さて、心と空間に隙間を作り、見通しよくなったところで、

さ!午後は「おかえり~!」と満面の笑顔で娘を迎えに行こうか。

Vol.4【愛だろ、愛】

 

数ヶ月前、悩み抜いた末についに我が家のフライパンを新調しました!

それは、職人さんが全て手仕事で、

鉄の一枚板を何千回も打ち出して作ったというフライパン。

 

鉄のフライパンは熱伝導がいいので、炒め物などのお料理が短時間で

すごく美味しくできあがるうえに、鉄分まで摂れるというのが大きな魅力。

その一方で、なんせ重いし、洗う際には、洗剤は使わずお湯で洗い、

弱火で乾かし、錆び防止のために毎度油を塗りこんで保管する手間が

かかる一面も・・・。

 

重厚感があり、大切に扱うと一生物になるというそこに魅了されたものの、

ややお値段も張るし、買ったはいいが、私は果たしてちゃんと使い続け

られるのか・・・?

と買うまでには散々悩みました。

 

しかし実際使い始めると、なんといっても料理の完成度が高い!!

美味しい!!

ちゃんと油を塗りこみ、大切に使っています。

少なくとも今のところは・・・。

 

約束通りお手入れをしたり、火加減にも気を配っているのに関わらず、

テフロン加工の物に比べると、時に食材がくっついたりすることも・・・。

鉄のフライパンは本当に馴染むまでに根気がいるから、

ガッカリしながらも、気を取り直し挑戦することの繰り返し。

本当に一筋縄ではいきません。

 

それでも、短気な私が「もう捨ててやるー!!」とならないのは、

やっぱりお値段に対する義務感からではなく、

そこに愛おしさがあるからなのです。

 

「あ、、、私このフライパンに惚れているんだ!!!」

と、ちょっと大げさになってしまったけれど、

どうも私は本気でこのフライパンに惚れ込んでいるらしい、と

自分でわかり、ちょっと安堵したのです。

 

たかが道具だけど、そこに意識をはらうか否かでは、

時を経た後に、その姿や在り方がまるで違うと思うのです。

 

温かい眼差しを浴びた子どもが伸び伸び育つように、

気にかけてあげた植物がぐんぐん育つように、

大切に扱われた物達が長く在り続けるように。

 

目には見えないけれど、真摯に向き合うことで確実にうまれ、育まれる「愛」。

 

当然ながら人とのお付き合いもまた同様で、それこそ一筋縄ではいきません。

いい時も悪い時もあり、でもその全てを経て確かに熟成されていく愛や絆。

根気もエネルギーもいるけれど、そうして築き上げられたものは、

決して色あせることなく刻み続けられるのではないでしょうか。

 

「愛」は優しく、深く、温かく、そして時にとても厳しい。

そんなスケールの大きなものを一個人で何もできるわけじゃないけれど、

日常どこにでも存在し、誰しもが意識次第で確かに持つことができる、

それも「愛」。

 

ちょっとした気遣いや言葉がけ、たとえ一期一会の出会いでも、

その一人ひとりの愛が繋がり、広がった時、

優しい大きなエネルギーへと変わり、

世の中を明るく照らすことができたらいいなぁ・・・。

 

いや、必ず何かが変わる!!と信じています。

そのために、まずは自分の身の回りから!ということなのです。

 

フライパンのお手入れをしながら、「愛、愛、愛・・・」などという

壮大で究極なテーマについて真面目に考えた昼下がり。

ふと、昔流行ったフレーズが頭をよぎる・・・。

「愛だろ、愛。」(わからない若い世代の方々ゴメンなさい)。

 

昔は「ふーん・・・愛ね・・・」と、ナナメ目線でCMをみていた小娘も、

思わず鼻息荒く呟いたのでした。

「ちょっと永瀬サン!!今やワタシも少しは愛がわかるオンナになったわよっ!!」

※永瀬サンは、俳優の永瀬正敏さんのことです。

Vol.3【「誰かのため」は自分のため】

 

突然ですが、私はお味噌汁が大好き。

具合が悪い時や疲れた時に食べたくなるものは、

いつも決まってお味噌汁です。

お味噌汁は、昆布と鰹節で丁寧におだしを取るというのが、

自分なりのちょっとしたこだわりです。

 

自治体の管理栄養士時代、「食育」に取り組み、

教育現場や健診などで「おだしを主体とする幼少期からの味覚づくり」

の必要性について普及啓発をしていました。

 

その頃、離乳食について研究をしていて、

大半のお母さん達が「だしパック」を使っていること、

中にはおだしのとり方を知らないお母さんも少なからずいることを知って、

どうやったら保護者の負担が少なく、

かつ子ども達にだしの味を植え付けていけるのか?

と必死に試行錯誤していました。

その大切さを知っている私は、家庭ではちゃんとおだしを取ろう!

当然とるものだと思い込んでいました。

 

その後、時が流れ・・・

子どもを生み、離乳食を作り始めた時から、

おだしを取るようになりました。

ところが・・・。

 

余裕だった離乳食時代を終えて幼児食に移行した頃、壁にぶつかりました。

だって、食べムラはすごいし、好き嫌いは出てくるし、

手づかみで食べるから食べ汚しの様は、もはやアート。。。

この大変さは、成長の証で喜ばしいこと・・・頭で分かっているけど、

こんなに手がかかるとは!

 

今までいくら専門とはいえ教科書上の知識しかなかった私にとって、

これは大きな衝撃で、おだしを取るなんていずこへ・・・?

気がつけば、すっかり「だしパック」に頼りっきりでした。

あれほど偉そうに妊婦さんや多くのお母さん方に

「できるだけおだしを取りましょう」

なんて言っていたのに、自分は一体・・・。

 

「言うは容易く・・」とは、まさにこのことで、

「何も知らず偉そうな事ばかり言って、大変申し訳ありませんでしたっ!!!」

と謝りたい気持ちでいっぱいです。

 

しかし、そんな私に再び転機がやってきます。

それは、二人目の産後。

寝不足と産後のダメージでボロボロだった身体に、

産院で出された「丁寧にとったおだしの味がする」お味噌汁が、

優しくすーっと全身に染みわたり、生き返るようでした。

もうそのおいしさったら、完全サブではなく立派な主役。

その時から自分の中のお味噌汁の立ち位置がすっかり変わったのでした。

 

それからというもの、あの産院のお味噌汁の味が忘れられなくて、

自分がおいしいお味噌汁を飲みたいがゆえに、

せっせとおだしを取るようになったのです。

アンケート結果の多くのお母さんと同様に、

おだしを取ることに少なからず負担を感じていたのに、

今や全く負担を感じなくなっている!!

一体どうしてか?

 

それは、おだしをとることは、「家族のため」だという意識があったから。

無意識のつもりでも、

どこかに期待や押し付けなどが根底にあるから負担だったのです。

でも、それが純粋に「自分のため」であれば、

たとえ残されても「イラっ」や「ガッカリ」もしません(笑)

家族に薄味で、素材の味をちゃんと伝えたいと思いながら、

日々台所に立っているのは変わりないのですが、

自分が「やっぱりおいしいおだしは偉大だな~」と思っているのです。

 

「だれかのため」じゃなく、それが「自分のため」になった時、

負担が初めて喜びに変わるのだと思います。

時には「だしパック」にも助けられながら、

でも自分がおいしい味噌汁を飲みたいから負担なく続けられています。

主人のお夕飯がいらない日は、

世間に負けず我が家ももれなくお夕飯は手抜き(笑)・・・。

「ここは昭和か?」みたいな食卓も、

お味噌汁があるだけで喜んでくれる子ども達を相手に、

かすかにある手抜きの罪悪感がサーっと晴れていく。

「おだし」はもはや私にとって素晴らしい心のお守りでもあります。

ビバ!「おだし」よ!昭和の食卓よ!!

Vol.2【「コンプレックス」が「個性」に変わる時】        

 

子どもの頃、会う大人から必ずといってもいい位、

「美人さん。」とか「賢そうなべっぴんさん。」

と言われていた2つ上の姉。

確かに子どもの頃の姉は、妹の私から見ても綺麗な子どもでした。

 

一方、妹の私は・・・

性格がすごくおてんばだったこともあり?大抵の人が一瞬の間の後で、

「あらー、妹さんは個性的!」と言うのでした。

それがイヤでイヤで、一度でいいから、

「べっぴんさんね!」と言われたかった子どもの頃。

そのせいか、小さい頃からずっと「個性的って何なのさ!」と

思ってきました。

 

私の顔は、元々カモメのような太く濃い眉毛の存在感が大きく、

さらに少しつり上がり気味なせいもあり、子どもの頃は真顔でいると、

決まって「怒ってる?」と聞かれるため、自分の眉が大嫌いでした。

 

小学生のある時、姉の同級生に会い、目が合っただけなのに、

「おまえの妹から睨まれたぞ。」と言われたと、

後日姉から聞かされ大きなショックを受けたことも。

 

そのコンプレックスの塊だった私の眉を、いつも褒めてくれたのは、

唯一祖母でした。

「女の人はね、大人になったら眉を描かなあかんもんやけど、あんたは描かんでいい。あんたのしっかりした眉は宝物やから大事にしいね。」

そう言われ、幼い頃はその意味がよくわかりませんでしたが、

思春期になり、巷で細眉が大流行した時も、祖母の言葉を信じて、

時代に逆行する太眉で通しました。

 

その時初めて、自分の顔は全てのパーツが大きいため、

眉だけ細くしたところで他のパーツとのバランスが取れないことに

気付きました。

そして、ようやく私の顔には、この太く濃い眉が合っているのだと

納得したのです。

 

まさに「私らしさ」の認識でした。

 

つまり、大嫌いだった眉が「コンプレックス」から「個性」へと

認識が変わった瞬間だったのです。 

コンプレックスと捉えるのか、個性と捉えるのかは、

自分の意識の持ち様ひとつなんだと教えられた経験でした。

 

誰もが一人ひとり違う個性を持っているから面白いのであり、

個性が光るからこそ人はそこに惹かれるのだと思うのです。

個性はいわば、自分のトレードマーク、つまり武器になります。

その最大の生かし方も結局のところ、

自分が一番よくわかっているのではないでしょうか。

 

誰もが何かしら抱えているコンプレックスを武器にできるのも、

また自分次第なんだと思います。

 

さて、そんな私も今でこそどんどん個性的と言ってもらいたいのですが、

大人になってからは、もはや誰も言ってはくれなくなりました(笑)

でも、おかげでもう「怒ってる?」と聞かれることも無くなったのでした。

Vol.1 【「いつも柔軟、でも凜とたくましい人」への憧れ】

 

メンタルエステスクールに入るまで、

自分がこんなにも肩に力を入れて生きているという事に

全く気付いていませんでした。

「自分の性格の長所は?」と聞かれると、

「真面目で誠実なところです!」と答えていますが、

裏側の短所は、つまり頑固でせっかちなのです。

 

社会人時代は、一日のスケジュールに沿って、

片っ端からガンガン仕事をこなしたいタイプで、

職場では信頼され、それなりに重宝されてきたつもりです(笑)

中堅になって、大きな仕事の担当者を一人任された時には、

周りの期待に応えたい、結果を出したい一心で、

とにかくがむしゃらに頑張りました。

 

でも覚悟していた以上に大変で、全てを抱え込んでしまい、

常に気を張り詰めて力を抜くことをしなかったため、とうとうある日、

耳が聞こえなくなり、数ヶ月間休職せざるを得なくなりました。

その時、「がむしゃら」だけでは周りが見えず、

こんなにも脆いんだという事をはっきり認識させられました。

 

スクールに入り、「360度の物事の見方」の大切さを教えられ、

一歩引いて物事をいろいろな角度から見ることによって、

一歩先へとスムーズに進んでいきやすくなりました。

 

柔軟に生きる人は、何か起きた時も、

簡単に壊れたりせず、糧にして上手に乗り越え、

本当の意味で強く、たくましい人なのだと感じます。

あの頃の若かった自分も、今となれば

いじらしくも思えるようになったのですが、

その社会人時代の経験も、

自分の枠を外すために必然必要だったのだとよくわかります。

 

そして今、母親になり、セラピストとなった私は、

「いつも柔軟、でも凜とたくましい人」に強い憧れを持ち、

日々訓練しているところです(笑)

 

子どもが寝ている間にご飯を作ってしまおうと、台所に立っている時にも、

「あっ、今ほとんど息をしてなかった!!」

と気付いては、深呼吸を繰り返し、優先順位を意識し直します。

 

そして、習っているフラダンスでも、先生からは

「肩の力抜いて!」とか

「もっとゆっくりエレガントに!!動きが男前すぎる!」(笑)と、

しょっちゅう指摘され、

「やっぱりここでも力を抜く訓練かぁ」

と納得しています。

 

上手に力の抜けた、凛としてたくましい人への猛特訓は、

まだまだ当分続きそうです。